こんばんは、トオメです。
もうオリンピックはじまりますね〜
楽しみ…
楽しみだけどゴタゴタがすごくて真面目に遠い目になってしまう…
ということで、やっと駆け足で読み終わった楠木本の感想など。
「楠木正成・正行/生駒孝臣」を読んだ
まず…
まず、予想通りに読みやすい!!!
フルカラー!!!
文字が大きい!!!
ふりがなまでふってある!!!!
ということで、歴史本にしてはかなり読みやすい。
逆に言うと専門的ではないのかも。
でも我のような素人にはちょうどいいのである。
あと、当然といえば当然なんだけれども、4/5が正成さんのお話にて候。
正行目当てだとちょっと肩透かしかな…。
ちなみにタイトルに載っていないのでお察しいただけるかと思うんだけれども、正儀にいたっては数行にて候。
かなり同情的ではあったけれども。
新たな発見は、正成さんが意外と後醍醐天皇に評価されていたこと
ちゃんと評価されていたのねと思ったのは、
建武の新政のときの恩賞として、ちゃんと摂津と河内を与えられていた…ということ…
しかも武家のプリンス尊氏と同等の2カ国。
官位は身分の差が出たよねという感じ。
尊氏は従五位上→従四位下(→従三位) …従三位!?
正成さんは六位→従五位下…
うむむ…やっぱり…わかってたけれどもかなり軽い身分だよねえ…。
六位って地下人では…。…そうか滝口の武士…そう思うと納得。
五位の尊氏は殿上できるはず…
この渋い官位をみると、与えられた所領が尊氏と同等の2カ国ということで、まことに破格。
すごい評価されてる。
というか、尊氏…武家なのに従三位ってすごいなと思わざるを得ない。
公家でもかなり高位ではないか。
さすが武家のプリンス。
楠木の敗北はすなわち南朝の敗北
なぜかというと、楠木勢が南朝ほぼ唯一の武力装置だから…
えっ…
そんな…
そんな貴重な戦力におじゃる勢はイヤミを飛ばしまくりだったと…!?
とはいえ、ほぼ唯一といっても多少は手勢があったんではないかな…と想像。
だって…正成が討ち死にしたあとは正行がまだ11歳と幼少で、そんなところに攻め込まれたらひとたまりもないではないですか。
なので、なにかしら手勢はあったんじゃないかなあ…
正行は切ない
11歳という幼い身で父と死に別れ、自らは当主として討ち死にした郎党の子息を養い、自らの(体の)成長を待っていた…
という記述がなんともせつなすぎる…
でも、これぞ武家の嫡男という気もする。
(舞台では)正時と正儀はわりと自由に結婚したり脳筋したりしているけれども、正行は一族郎党と家名を背負っているわけで…
しかし、そうあるように育てられたともいえる。
おそらく傅役とかつけられて指揮官教育をされていたんだろうし…
正儀のその後
正行の死後、楠木家を継承し当主になるのである。
どうやら実は四條畷には彼は従軍させず温存させられていたらしい。
「南朝ほぼ唯一の武力」であるなら、誰か一人は必ず生きながらえさせないとだ・・・。
で、北へいったり南へもどったりといろいろし、どうにか南北和合を果たすのであります。
でも「太平記」では「優柔不断」と手厳しい…と同情する著者の方と私。
というわけで、いろいろ妄想が捗った良書でした。
読みやすいのがいい!